BIOGRAPHY
chapter1
ボクシングとの出会いから世界3階級制覇まで
プロボクシングで世界3階級制覇を果たし、現在もMMA(総合格闘技)、キックボクシングのリングで闘いつづけるライカ。
「悔いが残らないよう、今を真剣に、全力で生きる」
その言葉を体現するようなひたむきなファイトは、いつも見る者の心を動かす。
京都に生まれたライカは、3歳から18歳まで児童養護施設・迦陵園で過ごした。
高校卒業とともに施設を出て、紡績会社で働きながら短大を卒業。在学中に取得した歯科衛生士の資格を生かし、歯科医院に就職するも、「ナース姿がどうにもしっくりこなくて」3ヶ月で退職。電池製造会社や老人ホームのボランティアなどをしながら“自分の居場所”を探し続けた。
22歳のとき偶然、「女子も歓迎」というボクシングジム(現WOZボクシングジム)の看板を見つけ、すぐさま入門。翌年の1999年、女子アマチュアボクシングの全国大会でMVPに選ばれる。この活躍により発足したばかりの日本女子ボクシング協会の基幹ジムである山木ジムのスカウトを受け、翌2000年春に上京。同年5月、東京・北沢タウンホールでプロ初戦に臨み、豪快なラッシュで3ラウンドKO勝利。衝撃的なデビュー戦となった。
2002年2月に憧れの存在だった菊川未紀を判定で下し、初代日本女子フェザー級王座を獲得。同年12月にはオーストラリアの強豪、シャロン・アニオスの持つ女子国際ボクシング協会(WIBA)世界フェザー級王座に挑戦、僅差の判定勝利でついに世界のベルトをその腰に巻いた。「でも、巻いてみて初めて自分が求めていたものはベルトじゃないとわかりました。自分はまだ弱い。もっと強くなりたい。自分が追い求めている世界チャンピオンにどこまで近づけるか確かめたい」
王座を3度防衛した後、05年に返上。翌06年5月には初の海外試合として韓国・全羅道で国際女子ボクサー協会(IFBA)世界スーパーライト級王座決定戦を戦い、チョン・ウォンミ(韓国)を判定で下して同王座を獲得。さらに同年12月にはWIBA世界ライト級王座を獲得し、世界2団体3階級制覇を達成した。


chapter2
自主興行開催と「風神ライカ」時代
2007年11月10日、東京・新宿フェイスを会場に、ライカは女子格闘家として初めて自主興行によるプロボクシングイベント「風神見参~ライカタイフーン~」を開催した。運営難の協会ではなかなか試合が組まれず、試合の場を自ら創った形だった。
「試合がなければやめるしかないけど、いくら考えても自分にはボクシングしかない。だったら、人が何かしてくれるのを待っているんじゃなくて、自分の生きていく場所は自分で創らないといけないと思いました」
ボクシングが好きになるきっかけとなった漫画『はじめの一歩』の作者森川ジョージ先生に、大会名の考案やポスターデザインをお願いするなど興行実現に向けて奔走。当日はメインでWBC世界王者のアン・マリー・サクラート(米国)に判定勝利を収め、自らの持つWIBA世界ライト級王座防衛に成功した。
自主興行から10日後、男子の国内プロボクシングを統括する日本ボクシングコミッション(JBC)が女子プロボクシングを正式に認可。改めて受験したプロテストに合格したライカは、リングネームを「風神ライカ」として新たな環境でボクサー人生を歩むこととなった。
08年5月、ボクシングの聖地後楽園ホールで開催された女子プロボクシング立ち上げ記念興行『G Legend』ではメインイベントに出場、苦戦しながらも勝利を収めたが、同年8月、WBC女子世界ライト級王座をかけたアン・マリー・サクラートとの再戦では判定負けを喫してしまい、以降も苦戦が続いた。「自分の中では自主興行でけじめをつけたことで、あとのボクサー人生は“おまけ”のような感覚もあった。気持ちが中途半端だった」
自分にとってより厳しい環境を求め、ジムを移籍。2010年9月には初代OPBF女子ライト級王者になるも、13年8月、韓国・ソウルでのWBA女子世界スーパーフェザー暫定王座決定戦で判定負けを喫し、世界王座返り咲きはならず。この試合をもってプロボクサー人生にけじめをつけた。


chapter3
MMA、キックボクシングと出会い「生涯格闘家」へ
ボクシングを離れてしばらくは次の道を探しあぐねていたが、「まだ自分は燃え尽きていない、もっと強くなりたい」との思いが潰えることはなく、さまざまな人との出会い、再会を通じて総合格闘技(MMA)、キックボクシングの魅力を知ることに。38歳となった誕生日の翌日、2014年1月25日のブログに次のようにつづった。
「ボクシングしかできない、ボクシングなくなったら、どうなるのかなとばかり思っていたけど、また打ち込める物があった……これからはボクサーではなく、格闘家としていろんな事にチャレンジしていこうと思います」
同年9月、韓国・ソウルでの初のMMA戦は判定負けを喫したが、11月にはキックボクシングのメジャーイベント「RISE」に出場しプロ初勝利をあげる。この年の大晦日にはMMA老舗団体「DEEP」の大晦日興行に抜擢出場。しかしベテラン杉山しずかに1ラウンド一本負けを喫した。「総合ってどう闘うのか、とにかく全然分からない。それでも、試合のオファーが来たときは断らなかった。『負けてもいいから出ます』という受け身の姿勢だった。中途半端な気持ちのまま、総合のリングに上がっていたんです」
この試合をきっかけに自己変革を決意。ボクシング時代と同様に一戦一戦覚悟をもち、「これが最後」の気持ちで取り組もうと自分自身に誓った。
15年5月にはKO勝ちで悲願のMMA初勝利。16年7月にはUFCにも出場した女子トップファイターの中井りんとパンクラスで対戦し、3ラウンドTKO負けを喫したが、続く11月のカン・ジンヒ(韓国)戦からはMMA6連勝。キックを含めれば1年半負けなしの7連勝(18年4月現在)と成長を続けている。
「今はMMAがすごく楽しい。覚えることがたくさんあるけど、練習したぶんだけ、試合をやったぶんだけ進化できる。でも、ボクシングに出会っていなかったらMMAにも出会っていなかったわけだから、やってきたこと、今やっていること、すべてに意味があると思ってます」
生涯格闘家を目指し、ライカの挑戦はつづく。


